4人家族を持ちながらセミリタイアを目指すアラフィフのの手習い

人生100年時代、ようやく折り返し地点に差し掛かったので、これからの人生を豊かに暮らすことを考えていく過程を綴ります

老害について

 

ネットサーフィン(死語)をしている時に”老害”という言葉に引っかかりました。

今まではなんとも思わず読み飛ばすところになにか引っかるものがあるというのは、自分にも老害という要素があると気づかないところで自覚しているのではないかなと思い、深堀してみることにします。

 

老害とは

googleで調べてみると

自分が老いたのに気づかず(気をとめず)、まわりの若手の活躍を妨げて生ずる害悪

 という説明がトップに出てきます。

 

年寄りが若者の活躍を妨げるのが老害だとすると、年寄りの活躍を若者が妨げる若害ということばもありそうだが、そのような言葉は耳にしないので、、年寄りが若者の活躍を妨げるという向きの問題が多いのだろう。

 

■若者が妨げられている活躍の場とはなにか

これまでは、作れば売れる時代だったので、良いものを作れば良いという明確な答えがあった。

しかし、今のものに溢れる時代は、ものが良いだけでは売れない。

モノではなくコトを作り出すという言葉もよく耳にする。

これは答えのない、リスクを取った判断や前例のない仕事である。

答えが明確でないことに対しては、年寄りはリスクが取れず、若者の斬新なアイデアに対しYesと言わないところが、まさしく老害にあたる。

リスクを取らない代わりに大きなリターンも得られず、リターンがあればよいが、損失を生み出す恐れもある。

先の短い年配の人であれば、逃げ切れるかもしれないが、若者にとっては死活問題である。

 

年配者に出来るのは、どのようなリスクがあるのか、そのリスクに対しどう対処できるのかという選択肢をアドバイスし、若者のアイデアを支持し、自分の知見を使いそのアイデアを実現させる意識が必要である。

 

出来ない理由を言うのではなく出来る方法を考えることだ。

 

老害は若者だけでなく全ての人にとって有害でしか無い。

 

ある程度年齢を重ねてきたら、

・今の自分は老害となってはいないか

・若者を育てるという目線で働いているか

・「俺が俺が!!」と言っていつまでも前線で働くのではなく、若者に機会を与えバックサイドから手助けをしているか

ということを考えながら、常に新しいことを学び、変わり続けることが、これからの人生を、老害だと若者に避けられることなく、共存共栄しながら、豊かに生きていく選択肢となるだろう。

 

・・・・ということを、既存のシステムを更新したいという若手の提案を聞き、「そんな浅い検討で一か八かを掛けるような新しいシステム発注のために予算は割けん!!」という心の声をぐっとこらえながら、「もうちょっと深堀して」と先送りにしてしまったのは、決して老害ではなく、経験からくるアドバイスだと思いたい。